映画・「あしたの私のつくり方」 感想
同じようにして、というのはあるのだろうけれど、それはやはり同じではない。
だから、明日が怖かった・・・っていうのは、
やっぱ誰もが抱えているようなことなのかも知れないよな。
その、「あした」ってのは、どうやったら作れるのだろう。
それは単に今夜眠ったらやってくるのだろうけれど、そんな意味じゃあないはずだよな。
(映画・「あしたの私のつくり方」 感想)
誰もに与えられるような、そんな優しい言葉は無かった。
誰もに叶えられるような、そんな等しい世界は無かった。
何が本物で、何が偽者で。
もしも自分ですら、それが分からなくなったとしたならば。
其処にいるのは誰なんだろうな。
あなたと喋っているのはだあれ?
あなたが喋っているのはだあれ?
あたしが見てるのはだあれ?
あたしが見ていたのはだあれ?
まあ、この作品の描き方って、どっか「言葉」だよな。言の葉っぱ。
見てると何だかやるせない。
それで描きたいのは「カタルシス」なんでしょう。おそらくは。
語りは多いよな。それを視てる。自分には素直な感じで見られてもいた。
だからさ・・・明日ってのはやっぱ誰だって良い方がいいとは思うんです。
だけど、その明日の前には今日があって、其処で視ているものがある。
其処には夢だって視てるはず。
じゃあ、例えば今日に嫌な事があったとしたら。
夢とは深層心理の表れでもあるのだから、其処でどんなものを視るのだろうかと。
だから、明日の前には必ず今日がある。
あしたーな明日にするには、今日の恐怖なんかなくなったらいいと思うのですよ。
じゃあ、そうするためにはどうしたらいいのか・・・ってさ。
その結論的には、それってとても難しいことじゃないのかな。
でも、この作品はそういうのに対して今作なりの答えを見せてもくれてたような。
それが視た方にとっての、何か気持ちが浄化されることに繋がればいいんじゃないのかな。

あしたの私のつくり方
カタルシス。それは精神の浄化のこと。
でも、これは視ていると、決して派手なものじゃないので、少し「か」ったるくて「たる」こいかもな。
だけど、視ていると。
その形はどうあれ、「し」あわせな「ス」トーリーへの道標ともなれていたかも知れなくて。
その気持ちとは、どうしたら楽に楽に。
そして、どうすれば癒やし癒やされたりするのでしょう。
とにも認めることは大事だろうと自分も思います。
しかし、実はこっとりさんこっとりさんって感じでもあったのですが。
だから、あんな思いもかけない「シンプルさ」は一つの救いなのだろう。
でもな、たぶん新しいものばかり、この世には出てくるから何かとややこしくもなるんだよ。
なのに、ああいう設定も使ってたりして、新たな物語が世には生まれてもくる。
だけど、そういうのも悪くもない。
では、素敵なあたしのあしたに向かって・・・あしたー!
まあ、実はまだハッピーエンドではなく始まりエンドでありましたけど。
でもね、今もあるかも知れない幸せにだって気付くべきなんだろうな。
あと、あのお若い先生は女生徒からモテてそうで。
あの人は妙に幸せそうだったよなあ。きっといい夢とか視ていそうだ。(笑)




